今城副院長

vol.1 研究者という経験が医師としてのルーツ 血液内科 医師 今城 健二

大きな窓から光が差し込む暖かい部屋——
市民病院南側の一角に位置する外来化学療法室です。
北長瀬移転時、この外来化学療法室整備の立役者となったのが今城副院長です。最近ではメディアで新型コロナウイルスについて解説する姿を目にしますが、実は血液疾患と抗がん剤のスペシャリスト。30年以上にわたり市民病院とともに歩んできた今城副院長に、これまでの歴史を振り返りながらお話をお伺いしました。

 

まずは今城副院長のご経歴についてお伺いします。

実は私、市民病院に赴任した時は血液内科ではなくて、呼吸器内科の医師として勤務していたんです。それ以前は東京の研究機関で遺伝子解析や抗がん剤の研究などをしていました。

研究の内容は多岐にわたりますが、医学博士号を取った研究テーマは「成人T細胞白血病」という白血病の原因となるウイルスの診断システムの開発で、今で言うPCR検査と同じものです。

「呼吸器なのに白血病?」と思われるかも知れませんが、白血病のウイルスは呼吸器に病変を起こすようなものをたくさん出すので、呼吸器疾患とは関連が深いんです。そういう意味では、呼吸器グループに属してはいるけれど、実際にやっていることは当時から血液のことでもありますね。

 

センター長を務める「血液・腫瘍センター」開設の経緯を教えてください。

まだ市民病院が天瀬にあった頃ですが、当時は今ほど診療科がはっきりと区別されていなかったので、私も呼吸器に限らず内科全般をのべつまくなしに診ていました。周辺の医療機関からもたくさんの患者さんをご紹介頂いていたのですが、そのうち自然と血液疾患の患者さんが増えてきて、需要に応える形で「血液・腫瘍センター」が出来ました。

旧市民病院

北区天瀬にあった旧岡山市立市民病院

 

研究者としてのご経験は、臨床医として働く上でも礎となっているのでしょうか?

そうですね。私のポリシーとして、目の前にいる患者さんの治療だけで終わらず、これから先に延びていく治療をちゃんとやりたいという思いがあります。

先を見据えてと言っても独りよがりではだめで、正当で公認された方法で、学術的なベースを持って延ばしていくということが重要です。

今城健二先生_インタビュー

血液内科病棟でインタビューに答える今城医師

 

先を見据えた取り組みを行っていく中で、印象に残っている出来事はありますか?

自家移植ってご存じですか?骨髄移植って、ドナーからもらうものと思っているでしょう。

自家移植はあらかじめ患者さん自身の骨髄や末梢血を採取して凍結保存しておいたものを、抗がん剤や放射線治療などの強力な治療で血液が弱ってしまった時に移植し、血液を作る力を再生させるというものです。これがうまくいくと化学療法の効果を活かしやすく、患者さんを救える確率が上がります。私も東京時代にノウハウを学んで持ち帰っていました。

数年後には、より患者さんに負担の少ない方法で必要な細胞だけを採取する技術が開発されて、それを市民病院でも実現できるように動き出しました。ちょうどそのタイミングで健康保険が適用されることが決まったことも追い風となりました。

新しい治療ですから、学術的に正しく、医療安全が確保された方法を学びながらそれに則って進めなければいけません。当時岡山大学にいらした教授を中心とした全国的な研究チームがあったので、そこに所属して研究を行う、今でいう治験のような形でスタートしました。

それからはひたすら患者さんと向き合い、症例も積み重ねていき、何とか軌道に乗せることができました。研究チームではその実績を評価してくださって、まだ尻の青い私を幹事の一員として引き立てていただきました。

将来を見据えて有望な治療法を延ばしたいという気持ちではじめたことですが、実績を積み重ねてきたことが患者さんの需要を満たし、多くの医療機関に認知していただけることにつながったという、記憶に残る出来事です。

▶第2回に続く

※役職は掲載時のものです。変更になっている場合がありますがご了承ください。